交通事故弁護士の交通事故体験記
① 初めに・・・
どうも、札幌の弁護士の立花です。
本日は、コラム特別編として、私の交通事故体験記を書かせていただきます。
実は私、令和3年9月19日に、交通事故に遭っております・・・
今回は、その体験記を記載させてもらおうと思います。
まず、結論から申し上げますと、
私は、交通事故に遭い、後遺障害等級12級に該当する後遺障害を負っております。
その影響で未だに肩の骨が変形しているし、痛みも存在しております。
ただ、幸いなことに負傷したのは、左肩ですので、何とか仕事はこなせる状態ではあります。
では、読み物形式で、私の交通事故体験記を記載していこうと思います。
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② 事故前の日常生活
私は、事故前、いわゆる勤務弁護士として、札幌市内に存在する法律事務所に勤務しておりました。
勤務弁護士時代は、交通事故事件や刑事事件などの事件を扱い、毎日仕事をする傍ら、簿記の勉強を趣味で行っているという状況にありました。
また、趣味は自転車であり、休日は自転車に乗って市内を旅する・・・そんな感じの生活をしていました。
勤務弁護士時代も、交通事故事件を中心に仕事をしていました。
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③ 事故日の様子
その日は突然やってきました。
事故当日、私は、妻と一緒に自転車で丘珠空港やモエレ沼公園に行きました。
モエレ沼公園では、アイスクリームを食べたことを覚えています。
また、当日の服装は、短パン半袖の小学生みたいな恰好だったことも覚えています。
確か、上は、姉からエジプトのお土産としてもらったエジプト様のTシャツだったと思います。
モエレ沼公園を堪能した私達夫婦は、自転車にて帰路につきました。
そこで、あの事故に遭ったのです・・・
交通事故に遭った当日も、いつもと変わらない一日を過ごしていました。
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④ 事故の瞬間
私は、妻と一緒に自転車に乗っていました。
モエレ沼公園からいくらか進行した後、大きな交差点に差し掛かりました。
十字交差点で、それぞれに横断歩道と信号機がある交差点でした。
その交差点で私の進行する方向の信号機は、赤を指していました。
そこで、私と妻は、歩行者用信号が青色になるまで、待つことにしました。
そこでは、次は北大にいこうかなどと他愛のない話をしていました。
その後、私の対面歩行者用信号機が青色になりました。
私たちは、私を前、妻を後ろとして、横断歩道を渡り始めたのです。
横断歩道を渡り始めて中間地点位に来た時、突如、私の左側から車が現れたのです。
危ない!と思い、私は自転車のブレーキを思いっきり掛けました。
ただ、同時に、これは間に合わないなと思ったのを覚えています。
そして、私は、私の後ろから来た車両の側面にがっつり衝突したのです。
車の存在に気付いたときは、すでに避けられない状況でした。
⑤ 事故後どうなったのか
私は、何があったのか瞬時には理解できませんでした。
どうやら、妻によると、私の後ろから進行してきた車が、右折し、その時に私がぶつかったようなのです。
しかしながら、私は、青色信号に従い、横断歩道をわたっていたはずで、轢かれるなんてゆめゆめ思いませんでした。
私は、気が付くと地面に倒れていました。
最初は、かすり傷程度かと思いました。
なので、痛みはありながらも何とか立つことはできました。
ところが、左肩があまりに痛いのです。
恐る恐る左肩を触ってみると、明らかに左肩が変形していることが分かりました。
その状況が怖すぎて、自分の目で左肩を確認することはできませんでした。
骨が折れているかと思いました。
横断歩道でいつまでも倒れていては周囲の人の迷惑になると思いましたので、何とか力を振り絞り、歩道まで移動しました。
そこで、私は、過呼吸状態になりながら、ずっと左肩を押さえていました。
これは、何とか病院に行かねばならないなあと思いました。
そうこうしているうちに、妻が救急車を呼んでくれました。
私が逆の立場だったら、救急車を呼ぶことができたか分かりません。
妻は、当時、病院に勤めていたこともあり、救急車を呼ぶことに何のためらいもない人だったので、助かりました。
その後、すぐに救急車に乗り、緊急搬送されました。
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