交通事故弁護士の交通事故体験記
⑥ 救急車の中の様子
救急車に載せられると、住所や名前などを聞かれた気がします。
コロナ禍なので、マスクは付けたままです。
そうしていると、痛みが強く過呼吸状態になっているのに、マスクが外せないため、余計苦しいのです。
ただ、マスクは外すなと言われていたため、とにかくきつかった記憶があります。
救急車に乗って少しすると、直近で何か食事をしたか聞かれました。
私は、モエレ沼公園でアイスクリームを食べたことを伝えました。
食事を聞いているのになぜかアイスを食べたという返答がなされ、若干救急隊員の方は笑っていたように思います。
その日は、休日だったのですが、どこもコロナで受け入れは難しく、唯一受け入れられるのが、厚別区の病院であることとその病院への搬送でいいかということを聞かれました。
実は、私の実家は厚別区であり、その病院にはなじみがあったので、願ったりかなったりでした。
そこで、その病院でいいということを伝えました。
緊急搬送されている間、痛みはかなりあるものの、意識はあるため、これは誰かに連絡しておいた方はいいと考え、私の母にメールしておきました。
妻には、カッコつけて、この程度で死んでいるなら、司法試験には合格していないなどとメールした気がします(これ、改めて考えると気持ち悪いですね笑)。
⑦ その頃の妻
私が救急車で緊急搬送されている間、妻は、警察からの実況見分を受けていました。
これは良くあることで、被害者が緊急搬送などで不在の場合、被害者不在で実況見分が行われることがあります。
その後、妻は現場に残された私の壊れた自転車を運ぼうとします。
しかしながら、妻は妻で自転車がありますので、どうすることもできません。
そこで、妻は、その日、一度自転車で帰宅し、再度バスにて私の壊れた自転車を回収しに行ったとのことです。
このように、レッカーサービスなどに加入していない人であれば、破損した自転車は自分で回収するほかないのです。
⑧ 緊急搬送先の病院で
緊急搬送先の病院は、休日だということもあり、殆ど患者さんがいませんでした。
病院で、痛みをこらえつつ、待っていると、すぐにレントゲンを撮ることになりました。
その後、医師の診察を受けました。
そこでは、「骨が明らかにずれている。」、「手術になるかもしれない」と言われました。
人生で手術を経験したことがない自分は、「手術」という単語に恐怖を覚えました。
それと同時に、「手術」になれば、仕事はどうなるのか・・・という点に不安がよぎりました。
その後、実家の母が飛んで駆けつけてくれました。
母は、私が事故に遭ったと聞き、不安でいてもたってもいられなかったと言っていました。
⑨ 実家に帰省、そして自宅に帰宅
緊急搬送された病院から私の実家で帰ることになりました。
そこで、父母と話しましたが、母がすごく心配していたことを覚えています。
その後、固定具で肩を固定した状態のままJRに乗り、自宅へ帰りました。
駅では私の妻が待っていてくれてうれしかった記憶があります。
⇒PART3へ続く・・・(※準備中)